生活の中でイベントを考えてみよう
介護でマンネリになりがちな生活の中にイベントを盛り込むことは、患者さんにとっても周りの人にとってもよい気分転換になります。
「闘病の中にもこんな楽しいこともあった」という思い出は、のちのち家族の心の支えにもなります。イベントの企画は、たいそうなことをする必要はありません。
誕生日会、ピクニック、ミニコンサート、トランプや百人一首大会、ホームパーティ、季節の行事にちなんだイベントなど、気分転換になるものなら何でもOKです。凝った企画を練らなくても、工夫次第で楽しいイベントはできるもの。
私も桜の季節には、花見のできない母のために満開の桜をビデオに撮ってきて、桜の枝を一本テーブルに生け、桜餅を並べて、BGMに琴の音色を流したりしました。
病院のような制約の多い無機的な空間にいる患者さんのお部屋には、ちよっとした季節を感じさせるもの(節分の鬼のお面、ひな人形、鯉のぼり、月見団子、クリスマスツリーなど)を飾るだけでも、心休まるものです。
余命いくばくもない患者さんの場合、何かイベントを企画したときには、ビデオや写真を撮っておくことをおすすめします。
「痩せて醜くなった姿を残したくない」という場合はやめたほうがいいですが、ビデオや写真の中に残された患者さんの笑顔は、「療養生活の中でも、こんな笑顔のときがあったのね」と、のちのち周りの人の心の支えになってくれるものです。
そして、あまり面会に来られなかった人たちにも、「」んな楽しいときもあったのよ」とアルバムやビデオを見せることで、安心してもらえます。
面会になかなか来られなかった人というのは、患者さんが亡くなられたあと、あれこれ問題を投げかけてくることがありますが、視覚的な思い出が残っていると、納得してもらいやすいものです。
何よりも形に残しておくことでいちばんうれしいことは、ビデォゃ写真の中では、亡くなった人もいっまでも年をとらずに生き続けていて、いつでも会うことができるということでしょう。
「誰かの役に立ちたい」と病人は思っている
ご家族からすれば、患者さんには「早くよくなってもらいたい。そのためには、安静にして、しっかり病気と向き合ってもらわないと」と思うことが多いでしょう。
けれど、この「安静にして、しっかり病気と向き合う」というのは、患者さんにとって案外きついことです。
患者さんにしてみれば、1日中ベッドの上にいて、病気のことしか考えるな」と言われているのと同じ。そんな毎日を送っていたら、誰でも気持ちが滅入ってきますし、「おまえは病気なんだ」と悪い暗示をかけられているような気分にもなってしまいます。
さらに、長わずらいになってくると、「こんな体になっては、人に迷惑をかけるだけの存在。生きていたって仕方ない」と思われる方も少なくありません。
こういうときに、ただ漠然と「何いってるの。もっとつらい人もいるのよ、がんばって生きなさい」と励ましても、説得力はありません。生きている意味や生きがいを感じられないと、人は「生きる意欲」がなかなかわいてこないもの。「生きる意欲」がわいてこないと、元気にもなれません。
こんなときには、「生きがい」探しのお手伝いをしてみましょう。患者さんを病気一色の中に閉じ込めてしまうのではなく、体調の負担にならない程度の気分転換のイベント、仕事、運動などをすすめてみるのです。無茶な運動や仕事は体によくありませんが、適度な気分転換は「生きがい」探しの役に立ちます。
がんなどの重い病気や寝たきりの生活でも、工夫を凝らしてみると、案外いろいろなことができるものです。家庭での療養生活なら、ベッドの上に小さなテーブルを用意すれば料理の下ごしらえもできますし、子供の勉強をみてあげることもできるかもしれません。
「煮物の味つけがわからないの。材料はこれで、調味料はこれでいいんでしたよね」というように、何かと相談相手になってもらうのもいいことです。
そして、ちよつとした家の手伝いをしてもらったときには、「ありがとう。やっぱり、お母さんがいてくれると助かるわ」と声をかけましよう。
こんなときだからこそ、日頃は気恥ずかしくて言えないような、「あなたが入院して、あなたの存在のありがたみがわかったわ」なんて、感謝の気持ちを言葉にしてみるのもいいものです。
人は病気をしても、どこかで人の役に立つ存在であり続けたいと願います。「ベッドに寝たきりの私でも、家族の一員なんだ。病気をしている私でも、人の役に立てる大切な存在なんだ」と心の底から思えたとき、生きる希望があふれ出てきます。
「存在価値」や「生きがい」が感じられる闘病生活は免疫カアップにもつながります。
ケンカがお互いのストレス解消になることも
そうはいっても、「相手の話をよく聞く」「気持ちに添って会話を進める」ということはとてもとても大変なことです。かくいう私も、「ああ、あのときもっと患者さんの話を聞くんだったなあ」と反省することもしばしば。
ですがら、皆さんも「落度のない会話をしよう」とか、「失敗しないように話そう」なんて思う必要はありません。
介護するあなたも人間ですから、イライラすることがあるでしょう。特に、親しい問柄の人に対して患者さんはわがままを言ったり、八つ当たりした
りします。家族や親友という立場の人ほど、イライラさせられることも多いはずです。ときには、思わずひどい言葉を投げつけてしまつたり、答えに詰まったりすることもあって当然です。
もし、そんなことがあっても必要以上に自分を責める必要はありません。病人の心を傷つけたなと思ったら、心をこめて謝ればいいのです。
看病する中では、いつもいつもニコニコいい関係を保っていられるときばかりではないはずです。
ケンカだって、あって当然。でも、あなたが患者さんを大切に思っている気持ちさえあれば、途中にいろいろな紆余曲折があっても、信頼や愛情がとぎれてしまうことはありません。
それに適度なケンカはときとして、お互いのやりきれない気持ちが発散できてストレス解消にもなります。後腐れのないケンカは大いに結構。ケンカは親しい者同士ならではのコミュニケーション手段です。
失敗を恐れて縮こまったりしないで、できるだけたくさん会話を交わしていってください。つまずいたり、転んだりしながら、療養生活の中で進むべき道はちゃんと見えてくるはずです。
▼病人から何か聞かれたら、答える前に、なぜその質問をしてきたのかを考える。
▼答えにくい質問には110おうむ返しにする、②聞き返す、③「答えられない」と言う。
▼自分だけで解決のつかない問題は、周囲の人に力を借りる。
▼失敗してもいい。失敗を恐れず、まずは話してみる。
▼ケンカも大切なコミュニケーションのひとつ。
問題解決より大切なのは「話を聞くこと」
とかく私たちは、悩みや問題を抱えている人を見ると、「なんとかすぐその場で、問題を解決してあげなければ」と思いがちです。
ところが多くの場合、相手は解決方法を講じてもらうより以前に、グチを聞いてもらいたいものなのです。
家族に求められるのは、解決方法をあれこれ提案することではなく、気持ちを聞くことです。
ところで、病気の人や悩んでいる人というのは、何度も同じことを話したり聞いたりする傾向があります。
私もこんな経験がありました¨患者さんから、
「せめて、痛みが止まって、早く治ればねえ」
と言われて、
「じゃあ、痛み止めを飲んでみませんか?」
と返すと、
「でも、痛み止めは体に悪いでしょ―ああ、でも痛いわ」
と答えられる。そこで、
「じゃ、マッサージでもしましょうか?」
と返しても、 `
「そんなもの、 一時的な効果じゃないですか」
とことごとくこちらの提案を断ってくる。そのくせ、「痛くていやになっちゃうわねえ。なんとかならないのかしら」と言われるのです。
こんなとき私たちは、同じことを言われてうんざりする気持ちと、問題を解決してあげられない自分へのもどかしさで、「なんとかならないのかと尋ねるから、いろいろ提案しているのに。人の提案をすべて断っておいて、グチばかり言う」とついイライラしてしまいます。
実は、このようなケースはよくぁります。患者さんは、「なんとかしてほしい」と言いながらも、いちばんしてほしいのは「痛くてつらくて、いやだ」という気持ちを聞いてもらうことなのです。
こういう場合こそ、問題の解決のみに目を奪われないで、相手の気持ちを十分聞いてあげる姿勢を大切にしたいものです。
うろたえると病人は不安が増す
では、相手の心の声に耳を傾けるにはどうしたらいいのでしょう。
まずは、自分の心の中でおしゃべりするのをやめましょう。「がんなの?」「死んでしまうの?」と質問されると、「何て答えよう。変なことは答えられないし」とあれこれ考え込んでしまうでしょう。
ところが、どんなふうに答えようかあれこれ悩んでいると、相手の気持ちを推し量る余裕が出てきません。とにかく、心の中の自問自答はストップさせてください。
といっても、その場の対応法がわからないと、落ち着いて相手の気持ちも推じ量れませんよね。でも大丈夫です。
これからお教えする三つの答え方を知っていれば、ほとんどの答えにくい質問は乗り切ることができます。安心して、相手の気持ちに耳を傾けてください。
質問への対応法① 相手の言葉をおうむ返しにする
第一の答え方は、相手の言葉をおうむ返しにする方法です。たとえば、
「私、がんなのかしら」
と聞かれたら、
「がんなのかしら、って思っちゃうんだ」
と、間い掛けの言葉をそのまま返しましょう。すると、相手は、
「だって、なかなかよくならないし、入院してから長いし、これだったらやっぱりがんだと思っちゃうよ」
と続けてくるでしょう。そこでまた、
「なかなかよくならなかったら誰だってそう思うよね、不安だよね」
と続ければ、
「そう、すごく不安なの」
と相手も素直に胸の内を話せます。
こんなふうに不安やつらい気持ちに同感してもらうと、病人も満足できますし、「がんかどうか」という表の質問に答えなくても、会話はちゃんと成立していきます。
質問への対応法② それに対して聞き返しをする
二番目の答え方は、「どうしてそう思うの?」と質問する方法です。
「私、がんなのかなあ」
と間かれたら、
「どうしてそう思うの?」
と質問してみます。すると、
「だって、この点滴をやると気持ちが悪くなるから。気持ちの悪くなる点滴をするなら、がんかなあって……。私、点滴がきらいなの」
と相手は思っていることを話すことができます。そうしたら、その気持ちに寄り添いながら、会話を続けていけばいいのです。
そしてもし、患者さんの心の内を聞いていく中で、相手が真剣に「真実を知りたい」と希望していることがわかったとしたら……。
「知りたい理由」がはっきりしているときは、ちゃんと真実を話したほうがいいでしょう。
「仕事をきっちり整理したいから、告知してほしい」
「もし、治らない病気なら、死ぬ前にどうしてもやっておきたいことがある」
「子供も小さいし、これからのことを家族みんなで相談しておきたい」
などといった理由です。こういう場合は、真実を語って正面から本人と向き合っていくチャンスともなります。
質問への対応法③ 「答えられない」と素直に言う
いろいろ相手の気持ちを聞きながらも、どうしても答えられない質問にぶち当たるかもしれません。たとえば、
「治らない病気なら、自分の生活にしっかリケリをつけるためにも、病名を知りたいんだよ。頼む、教えてくれ」
と言われたとしましょう。ご家族であれば告知を真剣に検討するチャンスとなります。
しかし、あなたが患者さんの親戚、あるいはごく親しい友人であり、なおかつ家族から「絶対、病名を言わないでほしい」と頼まれているような、即答しかねる状況の場合は困ってしまいます。
こんなとき、どうすればいいでしょうか。
答えは「答えられない」とはっきり言うことです。答えられないと告げる方法にはいくつかあります。
「ごめんなさい。私は本当に知らないんです」
「悪いけど、私の日からは答えられない」
もし、事実を知っていたとしても、嘘も方便で結構です。
ここでいちばんやらないほうがいいのは、黙りこくってしまうこと。あなたが黙ってしまったら、相手は悪い想像をぐんぐん頭の中でふくらませてしまいます。
「この人が黙ってしまったのは、ものすごく私の病状が悪いからなんだ」
「もしかして、もうダメなんじゃないだろうか」
けれども、ここで「知らない」という姿勢をあなたがちゃんと見せれば、「ああ、知らないのでは仕方ないな」と一応納得させながら、その話題をおしまいにすることができます。
また、患者さんによっては、「自分が病気で苦しむことよりも、周りの人が病気の自分に気をつかいすぎて苦しんでいる姿を見るのがいやだ」という人もいます。
こういう患者さんの前で、あなたが口をつぐむと、患者さんは、
「私のせいで、この人に必要以上の心配をかけて苦しめてしまった」
とかえってつらい思いをしてしまいます。こんなときには、
「答えられないの。ごめんなさい」
という態度ではっきり断るほうが、患者さんは、「これ以上難題を押しつけてもいけないな」と思うことができます。
と同時に、「この人は無理をして、私に気をつかったりはしない人だ」と安心もできるでしょう。
また、もしあなたが「知らない」「答えられない」としか言えないことを申し訳なく思うなら、「それでも、私はあなたのために全力で助けたいと思っている」という姿勢を相手に見せればいいのです。
このときに自分ひとりで問題を解決しようと思う必要はありません。誰か責任を持ってくれそうな人に、問題をバトンタッチしていいのです。
具体的には、
「私は知らないけれど、誰か知っていそうな人にちゃんと説明してもらえるように頼んでみようか?」
「病名を知りたいと真剣に思っていることはよくわかった。」
「私は答えられないけれど、その気持ちをお医者さんやご家族に私から伝えておくょ」
と話してみましょう。
患者さんの決意が固いものであれば、「そうだね。お願いするよ」とか「私も先生に聞いてみるつもりだ」と答えてくるはずです。
もし、心に迷いがあって、ただあなたにグチを聞いてもらいたいだけならば、「そんなことまでしなくていいよ。ただ聞き流してくれればいいから」とか、「家族にこんなこと言ったら困るだろうから、家族には言わないでおいて」「ほんとは先生に聞くのは怖いからいいわ」と答えるでしょう。
そう言われたら、その場で病人の話を聞いてあげるだけで十分なのです。
病人の「心の声」に耳を傾ける
問いかけに隠された真実を読み取る
「病人から『私はがんなの?』『私、死んでしまうの?』と間かれたら困るから、見舞いには行けない。話ができない」という話を、ご家族や近しい方からよく耳にします。
実は医者や看護師でも、同じような悩みを持っていてなかなか患者さんのそばに行けない者もいるのです。
「がんなの?」「死んでしまうの?」と聞かれたら、確かに、頭の中が真っ白になって、″どうしよう″という疑問符がグルグル駆け巡ってしまいますよね。
そして、たいがいは慌ててこんなふうに答えることが多いのではないでしょうか。
「何、バカなこと言ってるの!」
「先生はそんなこと言ってないでしょ―」
このような答え方で、たぶん一時的には患者さんも納得するかもしれませんが、そのうち心の中にモヤモヤがたまってくることになりやすいものです。
そのモヤモヤがいつしかどんどんたまっていって、ある日大爆発を起こすことにもなりかねません。では、病名に関する問いかけにはどう答えたらいいのでしょうか。
大切なのは、相手の心の奥底に隠された本当の気持ちに耳を傾けることです。患者さんはなぜ、あなたに「がんなの?」と尋ねてきたのでしょうか。
患者さんが「がんなの?」「死んでしまうの?」と聞いてきたとき、「はい、その通り」などと、まともに答えてほしい場合は、数えるほどです。
確かに、なかには「ちゃんと病名や余命を知りたい」と思って尋ねる人もいます。
しかし、多くの場合、「がんなのかしら?」という言葉の異側には、「どうして、こんなに具合が悪いんだろう」「なかなか治らなくてつらい」ヨ心い病気だから、退院できないのかも」「なぜ、こんな苦しい治療を受けなくちゃいけないの」などといういろいろな思いが隠れていることが多いものです。
実は患者さんは、その裏にある「つらい」「苦しい」といった気持ちに共感してもらいたいのです。
何でもない会話が実はいちばんほっとする
「でも、具体的にどんな話をすればいいのか……。病気の人にふさわしい話って、どんなものでしょう」
多くの患者さんは特別扱いされたり、同情されたりすることをいちばんいやがるようです。
そんなふうにされると、なんだか今までの自分と変わってしまったような、疎外されているような、見下されているような気持ちになるといいます。では、どんな会話をしたらいいでしょうか。もっとも無難なのはごく普通の日常会話です。
「されいなお花ね、誰か面会に来たの?」
「昨日の野球の結果はどうなったのかなあ」
「今日、ここへ来る途中でちょっとドジっちゃってさ。電車乗り過ごしちゃったよ」
ただ、意識するとうまく普通っていわれても、いつもどんな会話をしていただろう。かえって意識してしまう」と考え込んでしまうかもしれません。
そんなときは、「」く普通に」と意識した「普通」でもかまいません。そのうち、ちゃんといつも通りの会話ができるようになります。
少々配慮が必要なのは、病気そのものの話や仕事の話題です。病気の話は、みじんも聞きたくないという人と話したい人に分かれます。
仕事の話題も同じ。自分が社会に置き去りにされるのが怖くて会社の話をしたがる人、逆に仕事ができなくて焦ってしまうので聞きたくない人といろいろです。
とまあ、多少のポイントはあるものの、実はいちばんのコツは失敗を恐れずに何でもいいから話してみることです。「うまく対応しよう。失敗しないように話をしよう。
″心に添ったケア″を」と身構えると、かえって臆病になったり、緊張してぎこちなくなるんですね。
初めての経験は誰だって戸惑います。もちろん失敗もあります。「傷つけるつもりはなかったのに、あとで考えたら病人にいやな思いをさせたんじゃなかろうか」などということもあって当然。心のすれ違いは普通の人間関係にだってつきものです。
それよりも、失敗を恐れて、誰もお見舞いや介護に行かなくなることのほうが、患者さんにとってはもっと悲しいことです。病気だからといって臆せずに、普段通りのあなたで接してみてください。
▼がんだからといって特別な態度で接するのではなく、今まで通りの接し方でよい。
▼何気ない普通の会話がいちばんはっとする。
病人が望む対はこんなところからわかる「そうはいっても、病人は大変な悩みを抱えているわけだから、気をつかわないわけにはいかない。
相手の望むように接するにはどうすればいいのだろう」と思う方がいるかもしれません。「がんにかかる」という状況は、想像のつきにくいものだから戸惑いますよね。
そんなときは、失恋したり、仕事で大失敗をしたときのことを考えてみましょう。
失恋や仕事での大失敗もがんにかかることも、人生の一大事、とてもつらくて頭を悩ませる出来事という条件で考えたら、同じことです。
そして実は、失恋したときや仕事で大失敗したときの落ち込み方とそこからの脱出パターンと、がんなどの大病にかかったときの行動パターンは、とても似ていることが多いのです。
このことを私は、多くの患者さんと接した経験により学びました。そこで、想像力と記憶力をめいっぱい働かせて考えてみましょう。
患者さんが失恋や大失敗したとき、周りの人がどんなふうに接してくれたのがうれしかったようですか。
どんな対応をいやがっていましたか。どんなふうに振る舞って、どんなふうに立ち直ったのでしょう。
「毎晩飲み歩いてうさばらしをしていた」
「友人に電話をかけまくっていた」
「ずっと、家に閉じこもって誰とも会わなかった」
「がんばれ」と励まされて元気が出た人、 一緒に泣いてくれた友人に慰められた人、しばらくそっとしてもらうのがいちばんよかった人……。
人によって落ち込んでいるときの過ごし方がさまざまであるように、周囲の人に望む対応方法もさまざまです。
患者さんの普段の行動パターンを考えれば、自然と相手が好みそうな対応方法も見えてくるのではないでしょうか。
病人に対しての先入観は捨てること
病人に対しての先入観は捨てること
家族や親戚、あるいは親しい人が「がん」と診断を受けたとき、多くの方が、「これからその人とどう接していけばいいのか」という悩みを抱かれるといいます。
「がん患者さん」と聞くと、ほとんどの人はまず、「きっと、いつも病気のことで悩んでいて、想像を絶するような心と体の苦しみを抱えているに違いない。めったなことはいえないから、話をするにも気が抜けない」と思われるようです。
だから、お見舞いに行くにも気は重くなってしまうし、ましてや家族であれば、「病院にいるときの数時間だけならまだしも、丸一日顔を合わせるとなると、どんな話をしていったらいいのだろう」と退院が決まってからも不安になったりします。
でも、実際はそんなに心配する必要はありません。今までの日常生活にほんのちょっとの気配りをプラスすればいいのです。
確かに、重い病気をわずらうと誰しも気持ちは沈みがちになります。しかし、人間はひとつの気持ちをずっと同じテンションで持ち続けることはできません。
どんなに楽しい遊びも、毎日続けていると色あせて感じられてくるように、どんなに苦しくて大変な状況も、多少は慣れてくるときが来ます。
そして、どんなに不安で張り詰めた気持ちでいる人も、 一日の中には気の緩む瞬間が必ずあるものです。
がん患者さんも同じです。悩んでいる時間は当然あるけれども、普通に食事もするし、テレビも観るし、大笑いだってするのです。がん患者さんが四六時中病気のことを考えて深刻で、いつも体がつらいと思うのは「先入観」です。
多くの患者さんが口をそろえてこんなことを言われます。
「周囲の人が気をつかいすぎてつらそうな顔をしていたり、同情のまなざしで腫れ物に触るような態度をとったりするのが、いちばんつらい。病気にかかっても私は私で何ひとつ変わっていないのに。今までと同じように接してほしいのに」
がんは、体の病気です。
あなたの大切な人の心まで、病におかされるわけではないのです。がんがみつかったからといって、その日から特別な態度をとる必要はありません。その人が病気にかかる前と同じように接していけばいいのです。どうか先入観を捨てて、ごく当たり前に、普通に接してみようと考えてください。
「いちばんいい生き方」は「自分らしい生き方」
「いちばんいい生き方」は「自分らしい生き方」
といっても、「がんとの共存なんてそんな達観したことは考えられない。悪いところがあったら、どんなに小さくてもとってほしいと思うのが人情だろう」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
それも、ひとつの生き方です。最後の最後まで全力投球で病気と闘いたい方は、がんばることこそが自分に合ったいちばんいい生き方です。
本当は、「」れがいちばんいい生き方」というような、生き方の甲乙はないのだと思います。
しいていうなら、「その人が生きたいと思う生き方。自分らしいと思う生き方」が、その人にとってのベストな人生、ベストな道です。いろいろな意見を参考にしながらも、最後は自分がいちばん自分らしいと思える道を選択してください。
ひとりひとり、考え方も好みも違うのですから、選んだ道は人と違っていいのです。それが自分にとっての百点満点の生き方なのですから。そして、周りの方はご本人の選択を温かく見守っていってあげてほしいと思います。
病気をした後は、以前の生活を振り返ってみる。無理をしていた点を改善することが再発の防止につながる。
ストレスを軽減するには、性格に合わせること、性格全体ではなく一、二割を改革しようと思うのがコツ。
がんになったときは、自分の心の中に「死んでしまったほうが楽だなあ」という気持ちがないか考えてみる。
病気を逆手にとって前向きに生きる人に、奇跡が起こりやすい。
「痛み」は自分自身の言い出せない思いを語っていることがある。
悩みからぬけ出せなくてつらいときは、体(五感)を意識して使うようにする。
がんが体にあるからといって、すぐに死ぬわけではない。がんを抱えながら十何年も生きていくことも可能。
▼生き方はひとりひとり違っていい。
「治せないガン」と医者から宣告されたとき
医者から、「治せないがんです」と言われたら……。大切な人にしても、本人にしても、考えただけでも、ぞっとする話です。
「そんなことを言われたら、どんなふうに気持ちを支えて生きていけばいいんだろう」思う方も多いのではないでしょうか。
「それも運命なんだから仕方ない。受け入れていくさ」と思える強い人なら、問題はあまりないかもしれません。けれども、普通の人はそんなに簡単には割り切れないでしょう。
こんなとき、どんな考え方をしたら、少しは楽になれるのでしょうか。「奇跡はきっと起こる」「」んなに元気なんだもの、死ぬわけがない」「誰が何といっても、私はがんではない」と自分に言い聞かせるのもひとつの方法でしょう。
しかし、「いい聞かせてみても、やっぱり『言い訳しているだけに過ぎない』と思ってしまう」という方には、こんな考え方もあります。
そもそも、「がんを持っている日すぐ死んでしまう」と考えがちですが、がんがあるからといって、今すぐに命がなくなるわけではありません。
がんも塊としてあるだけなら、ただのコブに過ぎません。がんが怖いのは、無制限にどんどん増えて、大事な働きをしている臓器を潰して働かなくしてしまうことにあるのです。
言葉を換えれば、がんを抱えていても、今現在生きているのであれば、大事な臓器はまだまだ余力があるということです。
がんが治らないまでも、今の状態を保って、進行さえしなければ、生きていくことはできるわけです。ですから、まず、今生きていることに自信を持ちましょう。そして、「治す」より、ヨいくしない」ことに気をつけるようにするのです。
がんも、もともとは自分の体の中の一部です。体に負担がかかって、ちょっと反抗して不良化しただけ。だからちょっと非行に走った少年同様、あまり悪者扱いをしないで、真摯に向き合えば、種類にもよりますが、何年、十何年とがんを抱えたまま生きていくことや、場合によっては完治することも可能です。
現に今も、がんで膨らんでしまった大きなお腹を抱えて生きている人、大きな乳がんの塊を抱えて生きている人、肺にがんが転移しても生きている人はたくさんいます。今より悪くならなければ、少なくともがんで死ぬことはないのです。
「治らないがん」と言われたときには、考え方を切り換えて、がんとうまく共存していく生き方をすると、気持ちが楽になれるかもしれません。